知らなくて全部君を真似たよ

先のVtuberおしゃべりフェスで話したそらのももかちゃん、クゥ姉ちゃんに伝えたいと思いつつ上手く言えなかった感謝の言葉です。最近(2020年1月頭)になってようやく言葉にまとめられてきたので二人をまとめて書きました。

 

自分が大好きなバーチャルYouTuber、富士葵ちゃんに本格的にハマったきっかけは「なんでもないや」のカバーだった。その「なんでもないや」の歌詞に、次のようなフレーズがある。

優しさも笑顔も夢の語り方も 知らなくて全部 君を真似たよ

「君の名は」を見損ねているのでこの一節が本来の文脈でどう読まれ/聞かれるものなのか、自分には分からない。

でも、これを聞くと自分は、Vtuberというものを好きになり、推そうとしていったときのことを思い出さずにはいられない。

自分にとってVtuberは、一つのコンテンツにハマり、それについての思いを適宜言葉にしながら楽しんでいくということの初めての経験だった。そして、初めての自分がここまでハマり込めたのは、これまで表現されなかった自分の気持ちを上手く捉えてくれる言葉、絶叫、表現の世界があってこそだった。何かが好き、楽しい、という気持ちは、それを感じるための言葉、態度、そういったものが蓄積されてこそ感じるものなのだと思う。

好きという気持ちも好きの伝え方も知らない自分。その言葉にならない気持ちをスッと拾ってくれる表現の仕方があってこそ、自分の推しへの気持ちは的確に意識され、そして楽しく推し続けられている。

 

こうした表現で、何よりも自分に影響を与えたのはVtuberのそらのももか(現在活動休止中)だった。コンセプトが「好きを伝える」という彼女は、富士葵ちゃんや星咲ちあちゃん、シロちゃんといったVtuberへの好きを伝え続けていた。さらに、動画や生放送では好きなゲーム、映画、お菓子、シチュエーション等様々な好きを伝えてくれていた。

ツイートを全部ひらがなで書くことに象徴されるてらいの無い表現、そこでまっすぐに好きということを叫ぶ姿勢、そしてその良さを語る語り方。そうしたことは、衒いしかなかった自分の表現に率直さをくれた。そしてより大きかったことに、自分の良い・好きという気持ちに力強く、まっすぐな言葉を与えてくれ、その気持ちに後押しをくれた。

 

ももかちゃんは、しかし一面、自分にとってはあまりにまぶしかった。好きなことを、その良さをひたすら挙げて率直に好きだと語る。そのシンプルでいてとても楽しい基本姿勢は、しかし続けているとその言葉で捉えきれなかったアイロニーめいたツッコミのような捻った感情がこぼれてしまう。さらに、自分の他の感情とのズレからある種の照れ、気恥ずかしさ、後ろめたさをどうしても感じてしまう。

そこでもう一人、自分にとって大きかったのがクゥ・フラン・ゾーパー(以下姉ちゃん)だった。姉ちゃんも好きなものにそれほど裏読みを挟まずまっすぐという姿勢においてはほぼ共通しているところがある。姉ちゃんが早口で好きなものを語り、おすすめするトークはとても魅力的だ。*1ただ、姉ちゃんの場合そこに独特の哀愁であったりズラしが加わってくる。毎日のツイートや質問箱・マシュマロへの返答は、好きなものへの好きな気持ちが伝わりつつも捻りを加え、素直に好きと言い切れない照れ、もどかしさをも感じさせてくれた。

ももかちゃんの姿勢に徹しきれなかったように、姉ちゃんの独特なワードセンスや捻り方、多方面への愛情と造詣の深さを真似できるわけではもちろん無い。

ただ、この二人の(裏から照らすか表に出すかの違いはあれ)てらいなくまっすぐに好きを好きと言う姿勢。それを表現していく言葉*2。そしてそれによって新たに心に定位置を得た感情。そうしたものが自分の中に作り出した新しい一つの世界は、とても魅力的で、日々を豊かにしてくれるものとなっている。

ありがとうございます。好きです。これからも沢山楽しんで、楽しんだこと、楽しんでいるところを少しずつでも見せてくれると嬉しいな、と思います。

 

 

 

*1:これすきYouTube

*2:ときに言葉を越えた叫び