クゥ姉ちゃんのぷよぷよとパズルと偶然と

先日行われたクゥ姉ちゃんのぷよぷよ〜ん配信*1が好きすぎて、連ツイをしてしまった。

姉ちゃんのぷよぷよ〜ん配信をもう一回見返していたらこれじゃ足りない!と思ったのでもう少し考えつつ書きたい。

自分語りから入ると、自分はパズルが割合好きだ。パズルと言ってもぷよぷよのような落ちものパズルというよりニコリにあるようなペンシルパズル(数独など)が好きで、スマホでできるコンセプティスという会社のパズルを長く楽しんでいる。また、定期的にいわゆるキャンディークラッシュ系のパズルにもハマる。*2

姉ちゃんのぷよぷよの方針をこの2種類のパズルを遊ぶときの方針と比べつつ、自分の感じた激しい好きの正体を考えたい。

さて、上のツイートにあるように、偶然、ラッキーに頼っていることがここでの好きの中核になっている。つまり、偶然をどう扱うかという方針がキモということになる。まず、パズルの偶然というものについてもう少しよく考えてみる。パズルの偶然は大体、

  • 一定の操作に対して起こることが一様でない乱数的偶然(例えば、キャンディークラッシュタイプのゲームで、移動するタイプの役物はどこで効果を発揮するか分からない)
  • パズルの全体像が与えられていないゲーム的偶然*3(例えば、ぷよぷよはゲーム毎に落ちてくるぷよが違い、これから落ちてくるぷよは2つ先までしか見えない)
  • 情報量が多く複雑すぎるため一定の操作によって起こることが予想しきれない認識的偶然(適当に起爆したら偶然連鎖がつながるやつ)

の3つに分けられるように思う。

こう分けると、ペンシルパズルは解くに際してどの偶然も起こらない。だから、パズルの全てを(分からなかったとしても)コントロールした状況でいられ、予想外なことが起こったときの対処法やそのためのあいまいな方針はいらない。

一方、ぷよぷよ〜んのうち、ツイートで言及した必殺技無しのゲームを考えてみる。

まず、乱数的偶然はほぼなく、強いて言うならおじゃまぷよの降る場所くらいになる。そしてこれは、その偶然を事前に避ける方針が無い。嫌なところに来たら悔しがることしかできない。

ゲーム的偶然に対しては、姉ちゃんは、次の偶然とも関連するけれど、ぷよが連鎖起こせるくらい溜まる前に4つ集まって消えることを避けるのを第一とする。どんな色が来ても、どこかしらにそれなりに置けるという意味で便利な方針だと思う。

認識的偶然に対しては、姉ちゃんは最大限活かそうとする方針をとる。3連結ぷよを溜めて偶然が起こりやすい状況を作るのがそれだ。

そしてこれこそが、自分が好きな、共感する姉ちゃんのやり方だ。姉ちゃんが意図して起こすのは基本的に2連鎖まで。それ以上は大抵偶然が絡んでいる。だからといって運ゲー一辺倒か、と言われるとそうでもない。3つ組むというのは連鎖を作るという目的に合っているし、連鎖を作るかわりにその目的の方を向いていて、しかしよりやりやすい曖昧な方針を作るというのは明確な方針だ。

思えばキャンディークラッシュ型のゲームではこういった方針をとることになる。こういったゲームでは乱数的偶然、ゲーム的偶然といった自分ではどうしようもない偶然の影響は確かに大きい。ただ、そういった2つの偶然無しの既知の情報の中でも、盤面はなかなか大きく、自分の操作がその他の部分にどういった影響を及ぼすかということを十分に把握することは難しい。つまり、認識的偶然に頼ることになる。それぞれのステージの目的*4に合った大まかな方針を考え、(このタイプのゲームの場合特にどの役物をどこに作るかの方針)それを念頭に置いて操作をしていく。そしてその方針を考えること、発生する偶然はどちらもやはり楽しい。姉ちゃんがめちゃくちゃ楽しんでいたように。

認識的偶然に頼ることは、現状を、そして先を読み切れないがための次善の策であることは間違いない。圧倒的に決定論のパズルでは、ペンシルパズルのようにその全てとは行かずとも、起こるべきことの大体を勘定することができる。ことになっている。

でも、正直厳しい。出来ないものは仕方ないから偶然に頼る。ただし、もちろん完全にランダムではない。目的に合った方針は立てるし、その方針も段々磨かれていく(姉ちゃんも後半目に見えて連鎖が増えた)。そして、上手くいっても、いかなくても、それはそれなりに楽しい。

 

パズルを解く姉ちゃんという小舟が、偶然に揺られながらも楽しんで、偶然を乗りこなしていこうとする姿が好きということが確認出来ただけでも自分にとっては嬉しいことだったんだなあと思った。

ぷよぷよ〜ん配信はこれからも自分を何度も楽しませてくれると思う。良い配信でとても良かったなあ…

*1:YouTube

*2:最近はブレイブクッキーズにハマっている。

*3:自分の操作に関係なく環境の側に存在する偶然

*4:キャンディークラッシュ型のゲームは手数以内に特定の目的を達成することを目指す

葵ちゃんの1stソロライブのストーリーが大好きな話

現地レポ的なものではないです。

 

富士葵ちゃんの1stソロライブOVERTURE〜序曲〜に行ってきました。

感想といえば一に良かった二に良かった…最高!でさっぱりまとまってないです。ただ、今回のライブの特徴として、動画による「ストーリー」が挟まっていたことが挙げられると思います。その内容も、葵ちゃんの葛藤をネガティブな面含めて出してきたもので、最初出てきたときは一体何が始まってるんだ…と正直面食らってもいました。それについて考えていると、ああ、これ自分の好きなやつだな…と思ったのでちょっと掘り下げたいと思います。

序盤のプロットだけを書くとこんな感じです。*1*2

葵ちゃんはキクノジョーにソロライブ開催決定を告げられる。

葵ちゃんは最初喜ぶが、複数の葛藤(本当にやりたいことと周りが望んでいること、本来の自分に出来ることと周囲にお願いされることなど*3  )とそれを回収していく大きな不安の存在のためにライブ開催をためらう。

不安の中に落ち込んでいく葵ちゃんだったが、ファンからのDMによって勇気を得て、ソロライブを開催すること、さらに新曲を作ることを決める。

そして━━━

このプロットの中で特に印象に残るのが葛藤の場面で、時間的にも長くなっていました。そしてそのことは、自分にとって非常に魅力的な葵ちゃんの側面、これまで断片的で表しにくかった一側面を、とても印象に残る形で伝え、葵ちゃんの魅力の深みを増してくれました。

このプロットから自分が注目したことは、「自分がその状況の下にある事実自体からは逃れ難い自分の状況について認識、分析する視点」を確保するということ。そして、「その視点をもっていながらやはりその状況下に帰ってきてしまう」というどうにもならない状況を捉えているということ、そしてその筋立ての仕方です。

分かりにくすぎるので自分のイメージするこういった状況の例を少し。

 

自分の「好き」が身体的なものか純粋に精神的なものなのかと葛藤する。このとき、自分が結局身体と精神とが一体になってこそある存在だということはどうにもならない。その事実を捉えた上で、それでもあれやこれやと考えて、恐らく精神的なものに寄せようとしていこうとする。それでもふとした拍子に、身体が主体となった「好き」のあり方を感じてしまう。

コミュニケーションが苦手だと自分を認識している人が悩みつつも様々に手を出すが、時々にコミュニケーションの壁を感じてしまう。

 

葵ちゃんの物語も、自分の環境と自分の思いがズレているのではないかという疑いについて認知し、考えて葛藤するも、葛藤そのものについて結論は出ないという点で、こうした物語と通底するところがありました。

そして、自分はこうした物語が大好きです。筋立ても好きですが、こういった物語を背負うことそれ自体がキャラとして、人格としての魅力をさらに引き出してくれると思います。というのも、このどのようにでも捉えられる物語を喜劇とするか、コメディとするか、悲劇とするか、風刺劇とするかというところにその人の語り口の個性が凝縮され、ひいては基本線としてのその人の印象が形作られると思うからです。例えば自分の好きな一人のVtuberはこうした話をペーソスのある喜劇として語ることが多いですし、ツイッターを見ていると風刺劇あるいは悲劇として語られるのもよく見ます。

こうした中、葵ちゃんは葛藤に向き合いつつもこの物語をコメディと喜劇の二本柱によって表現しました。ここに表れた真摯さ、笑い、そしてなんとかポジティブな方向に進んでいこうとする力は、これまでの歌、動画、ブログ、ツイッターその他から感じていたものをその形式によってエッセンスが抽出された形で示してくれたものでした。だからこそこれまでの葵ちゃんにピタッとハマる、そして心を強く揺り動かしてくる物語になったのだと思っています。*4

そして、これは魔界の方々が思い切って葵ちゃんに物語を任せつつ、葵ちゃん自体の一体不可分の要素として普段の葵ちゃんを表現した、そのおかげであり、なんといっても葵ちゃん自身の努力の結晶の一つであると考えています。

ここまで考えを進めたところで葵ちゃんにかけられる言葉はありがとう、好きです、これからも応援してますから進歩できない。そんな語彙力の貧困、言葉の限界を嘆きつつ、あの物語で葵ちゃんのしていたように、葵ちゃんがこんな言葉でも喜んでくれると信じて、何度でも言いたい。ありがとう、最高のライブでした。大好きです。これからもずっと応援してます。

*1:プロット以外の部分、特にキクノジョー絡みの笑い要素も素晴らしくて、他にも曲とのつながりとか、様々なところから良さが語れるだろうな…と思います。

*2:マジで良かった実際の映像は1stフルアルバム『有機的パレットシンドローム』の初回限定デラックス版に付属のブルーレイで。https://fujiaoi.com/contents/271510

*3:実際にはもうちょっと具体的な場面を示す形で、その表現方法もああ、Aoi ch.だ…好き…と思う感じだった。

*4:書きながら思い出して涙が出てきた!!

知らなくて全部君を真似たよ

先のVtuberおしゃべりフェスで話したそらのももかちゃん、クゥ姉ちゃんに伝えたいと思いつつ上手く言えなかった感謝の言葉です。最近(2020年1月頭)になってようやく言葉にまとめられてきたので二人をまとめて書きました。

 

自分が大好きなバーチャルYouTuber、富士葵ちゃんに本格的にハマったきっかけは「なんでもないや」のカバーだった。その「なんでもないや」の歌詞に、次のようなフレーズがある。

優しさも笑顔も夢の語り方も 知らなくて全部 君を真似たよ

「君の名は」を見損ねているのでこの一節が本来の文脈でどう読まれ/聞かれるものなのか、自分には分からない。

でも、これを聞くと自分は、Vtuberというものを好きになり、推そうとしていったときのことを思い出さずにはいられない。

自分にとってVtuberは、一つのコンテンツにハマり、それについての思いを適宜言葉にしながら楽しんでいくということの初めての経験だった。そして、初めての自分がここまでハマり込めたのは、これまで表現されなかった自分の気持ちを上手く捉えてくれる言葉、絶叫、表現の世界があってこそだった。何かが好き、楽しい、という気持ちは、それを感じるための言葉、態度、そういったものが蓄積されてこそ感じるものなのだと思う。

好きという気持ちも好きの伝え方も知らない自分。その言葉にならない気持ちをスッと拾ってくれる表現の仕方があってこそ、自分の推しへの気持ちは的確に意識され、そして楽しく推し続けられている。

 

こうした表現で、何よりも自分に影響を与えたのはVtuberのそらのももか(現在活動休止中)だった。コンセプトが「好きを伝える」という彼女は、富士葵ちゃんや星咲ちあちゃん、シロちゃんといったVtuberへの好きを伝え続けていた。さらに、動画や生放送では好きなゲーム、映画、お菓子、シチュエーション等様々な好きを伝えてくれていた。

ツイートを全部ひらがなで書くことに象徴されるてらいの無い表現、そこでまっすぐに好きということを叫ぶ姿勢、そしてその良さを語る語り方。そうしたことは、衒いしかなかった自分の表現に率直さをくれた。そしてより大きかったことに、自分の良い・好きという気持ちに力強く、まっすぐな言葉を与えてくれ、その気持ちに後押しをくれた。

 

ももかちゃんは、しかし一面、自分にとってはあまりにまぶしかった。好きなことを、その良さをひたすら挙げて率直に好きだと語る。そのシンプルでいてとても楽しい基本姿勢は、しかし続けているとその言葉で捉えきれなかったアイロニーめいたツッコミのような捻った感情がこぼれてしまう。さらに、自分の他の感情とのズレからある種の照れ、気恥ずかしさ、後ろめたさをどうしても感じてしまう。

そこでもう一人、自分にとって大きかったのがクゥ・フラン・ゾーパー(以下姉ちゃん)だった。姉ちゃんも好きなものにそれほど裏読みを挟まずまっすぐという姿勢においてはほぼ共通しているところがある。姉ちゃんが早口で好きなものを語り、おすすめするトークはとても魅力的だ。*1ただ、姉ちゃんの場合そこに独特の哀愁であったりズラしが加わってくる。毎日のツイートや質問箱・マシュマロへの返答は、好きなものへの好きな気持ちが伝わりつつも捻りを加え、素直に好きと言い切れない照れ、もどかしさをも感じさせてくれた。

ももかちゃんの姿勢に徹しきれなかったように、姉ちゃんの独特なワードセンスや捻り方、多方面への愛情と造詣の深さを真似できるわけではもちろん無い。

ただ、この二人の(裏から照らすか表に出すかの違いはあれ)てらいなくまっすぐに好きを好きと言う姿勢。それを表現していく言葉*2。そしてそれによって新たに心に定位置を得た感情。そうしたものが自分の中に作り出した新しい一つの世界は、とても魅力的で、日々を豊かにしてくれるものとなっている。

ありがとうございます。好きです。これからも沢山楽しんで、楽しんだこと、楽しんでいるところを少しずつでも見せてくれると嬉しいな、と思います。

 

 

 

*1:これすきYouTube

*2:ときに言葉を越えた叫び

4/27(土)ニコニコ超会議の備忘録その3

姉ちゃんとの7回に及ぶおしゃべりが終わり、すっきりとした気持ちでももかちゃんの整理券を取りに行く。

姉ちゃんの5回目に行った辺りですでに整理券の事前配布は終わっており、自由に整理券を取ることができた。整理券の番号は20を越えていて、人気の程を伺わせる。

待っている間、バーチャルさんがいっぱい(ライブイベント)に葵ちゃんが出ていたので歩き回りながら聞くともなく聞こえる音を聞く。*1セカンドアルバム、楽しみだなあ。

そうこうしているうちに、ももかちゃんのしゃべフェスの時間になった。

先程の姉ちゃんとは違ってあまり番号が若いわけではないので、もうしばらく各地を歩き回ってから向かう。サントリーのブースではノムさんをチャンネル登録/フォローしている画面を見せると麦茶がもらえるとのことで、ありがたく頂く。

喉を潤したところでももかちゃんの列へ。

既に列はいくらか進んでいて、先頭で喋って並び直したと思しき白衣の人の前に入れてもらう。事前のももかちゃんの要望の通り、白衣の人が5人くらいいたのは流石だなあといったところ。と思っていたら若菜くんのコスプレと月夜くんのコスプレ?*2を発見。これが超会議…と"それっぽさ"にテンションが上がる。

そうして感心しながら並んでいると、自分の番がやってきた。

1回目

ももかちゃんに話したいことはもう固めてある。名乗って、話し始める。まず着ている(トイレで着替えた)葵ちゃんのTシャツを見せ、葵ちゃんからももかちゃんのことを知ったこと、こういった"推す"活動をした経験が無い自分にとってももかちゃんのファンとしてのあり方がとても参考になったというか、ある種の救われたという感覚があるということを伝え、感謝した。ちょっと泣いた。*3

2回目

次に並んだときには、イヌTを着ていった。(重ね着していた。)今度は、ばかよし、そして普段の活動が好きという話をした。夢中になっていたので詳しい話は覚えていないけれど、ももかちゃんが上手く話を回してくれたお陰もあって言いたいことはしっかり言えたという感覚があり、  また楽しい時間だった。

3回目

結果的にこの3回目が最後となった。このときは、姉ちゃんにも話したような、自分がVtuberを見るようになったきっかけの話をした。

 

3回を通じて、ももかちゃんはかなり話を振ってくれ、とても楽しいおしゃべりタイムになった。

まだ時間は残っていた(列も殆ど無くなっていた)ので並ぶのも良かったけれど、話すネタが無い+姉ちゃんのときそれで行って失敗したのが頭をよぎったためそこで打ち止めにした。今から考えれば、ももかちゃんは会話のデッキ二つあるって話をしていたので、そのデッキ目当てで行ってみるのも楽しかったかもしれない。

ともあれ、ここでしゃべフェスはおしまい、最後に一つ興味あるところに行って帰った。

総括とまとめは次。

*1:お金払って入るイベントなのであんまり良くないかもしれないけど聞こえてしまうので…

*2:後から知ったけど本人らしい?

*3:無駄になんでもないやの歌詞(知らなくて全部君を真似たよ)を引用しようとして伝わらずにテンパる辺り自分らしい

4/27(土)ニコニコ超会議の備忘録その2

前回、ついに姉ちゃんとの会話が開始した。

1回目

最初の会話、自分は事前に色々と話すことを考えていたはずだ。しかし、そんなことは、おいしい煮玉子とこんにちはのどちらを先に言うかというはじめの一歩で盛大に崩れ去った。

僕は、確かに、おいしい煮玉子と言った。

姉ちゃんは照れたように笑いながらおいしい煮玉子と返してきた。そして、こんにちはーと言ってきた。ヘッドホンから、天から降り注ぐように聞こえるその照れ笑いがかわいくて、愛おしくて、僕は全てを忘れてこんにちはーと返し、もう何も思い出せなかった。言葉に詰まり、目をやや濡らして音を出しながら、辛うじて姉ちゃんが好きということ、姉ちゃんがこういうイベントに参加してくれて、嬉しい、感謝しているということばかりを伝えた。

やや困惑している風の姉ちゃんを見て、話すべきことをなんとか手繰り寄せようと固まっていると、目の前にストップウォッチが現れた。係の方が、30秒経ったことを伝えてくれたのだが、黙っている申し訳なさと突発的な反応のため、飛ぶように立ち上がってヘッドホンを外し、帰ろうとした。

勘違いしたことにはすぐ気付いたから、座り直してあと15秒くらい。間違えちゃいましたーと先ほどの姉ちゃんに負けない(自惚れるな)照れ笑いをし、愛想笑いを頂き、また来ます!と言って5秒ほど余して離席した。

すぐに整理券をもらいに行き、2度目の列。

列を待ちながら

最後尾に並び直しとなるとそれなりに列は長くなるので、待ち時間も20分近くあった。そして、この20分という微妙な長さの時間が、自分にとっては無限にも感じられる濃密な一瞬だった。この一瞬に、頭の方では天から聞こえた姉ちゃんの声が響き、陶酔としか表現できない、殆ど経験したことがないふわふわとした感覚にあったし、胸からは絶えずため息が上がってきてその全てを抑えるわけにはいかず、手はニヤつく口元とため息を隠すのに必死だった。(ツイートはした)

どうしてこういう状態になったのだろう?一つの理由は姉ちゃんとの会話が双方敬語で行われた、ということにあるのではないかと思う。*1そのため、姉ちゃんとの会話は、その言葉からして常にある種の緊張感を持たないではいられない。

しかし一方で、目の前に見えているのは(大画面いっぱいなのが少し違うけれど)普段一人でリラックスして見て、かわいいなあとしみじみ思っている姉ちゃんの姿だ。こうして、緊張感と姉ちゃんはリラックスして見るものという認識枠組みのズレを修正しようとする不安定な状態に、ちょっとした気の動転とたっぷりの姉ちゃんのかわいさとが媒介となってあのえもいわれぬ陶酔感へと昇華したのだろう。

ああ、かわいかった、すごかった。

さて、並んでる時間は一瞬で過ぎ去り、2回目のおしゃべりタイムに入った。

2回目

2回目はまず、例の興奮冷めやらぬ中姉ちゃんって本当にすごいなあアイドルなんだなあと思いましたとまくし立てた。姉ちゃんが謙遜するようなことを返してくれて、姉ちゃんの姉ちゃん性をしっかり思い出すことが出来たので、その後はテンションを戻し、割合落ち着いた心持ちで、  話した。内容は、いいnitamago*2を先日旅先で聞いて、とても好きだったのでああいう曲の活動もまた見たいです、というような話だったと思う。*3

姉ちゃんも喜んでくれ、そういう活動もまたやりたいですねえと言ってくれた。

写真を撮ったのも2回目だった。このときになると姉ちゃんも慣れたもので、笑顔とピースがとてもかわいらしい。

3回目

3回目は、SOAの話をした。間違いなく姉ちゃんの影響で始めたゲームで、今も(ログボ専期間を何度も挟んでるけれど)続けているゲームだ。

楽しいゲームを教えてくれてありがとうと姉ちゃんに言った。姉ちゃんは、喜んでくれつつ、SOAの魅力をアクション面、モデル面について熱っぽい口ぶりを交えて語ってくれた。たまらなく姉ちゃんで、たまらなく嬉しかった。また、時間が少し余ったので自分の身の上話というかVtuber、姉ちゃんとの出会いを話した。時間が無かったので途中で終わってしまった。初回以来のまた来ます!を言った。

4回目

4回目にもなると大分列の長さが短くなってきて、並んでいる最中に2列あった列がついに1列になった。

前回の続きで、Vtuber、姉ちゃんとの出会いの自分語りをした。生まれてきてくれてありがとう姉ちゃん。大好き。

また、1コマ1分で何回も来るということをしていたので、整理券複数枚取って一度に長く話すのも出来るらしいですよーと姉ちゃんに教えてもらった。

自分は1分以上話せないので…とか言ってた気がする。まあ間違いない。

5回目

5回目はグッズ買った(トレードしてバッジも手に入れた)話とこのイベントの話、間近に控えるFF10耐久配信の話をした。

自分はれらたんとの新婚アクキーを買いそびれた口なので、今回のグッズ販売はとても嬉しいものだった。また、この出演のために姉ちゃんがお金を払っていることもちらっと言いつつ、こういうイベントに出演してすばらしい機会を作ってくれたことに改めて感謝を述べた。あくまでPANORAさんに感謝を述べる姿勢も姉ちゃんだった。(個人的にはやや不安だったけれどそれを完全に覆してとても良い運営だった)

耐久配信については、姉ちゃんの強い意志をビシビシ感じつつ健康を切に願いたくなるやり取りだった。

6回目

6回目ともなると並んでいる人も殆どいなくなる。自分も話すことが思いつかず、(今考えると全然もっと言いたいことがあるんだけど)少し離れた辺りをうろうろしながら考えていた。

すると、妙案が下りてきた。生めんみソングだ。めんみソングなら短い時間で歌ってもらえるし、何より聞きたい。半分アレを聞くためにyouに夢中に行ったくらい好きな曲だ。*4

歌ってもらって、あーいい!少しうろ覚えでテンポはゆっくりながら、その分クゥスリーに合ったちょっと抜けた感じのかわいさも醸していて、とても良かった。

7回目

7回目は話すネタが浮かばなかったけれど、終わりが近付いていたのでそのまま向かった。

案の定、何を話せばいいか分からず、15秒くらい双方無言(ときどきポツリとかわいいなあと呟く)という謎の時間を作ってしまった。最後に、  本当に大好きであること、これからも続けてほしいこと、健康に気を使ってほしいことなどを言って、最大限の感謝を言って姉ちゃんとのしゃべフェスの時間は終わった。

 

 

*1:神と対話するなら敬語だよね?姉ちゃんのしゃべフェスは一種の宗教体験だ!とか思ったけれど、余りにも地雷すぎるし知識無さすぎて粗雑なことしか言えなかったのでナシ

*2:感想文をこのブログに載せた

*3:ゲーム配信その他の活動差し置いて最初に言うことか?とは思うけれどとっさに思いついたのがそれだった

*4:殆ど聞こえなかったけれど

4/27(土)ニコニコ超会議の備忘録その1

しゃべフェスだ!

Vtuberおしゃべりフェスに、ニコニコ超会議に、姉ちゃん(クゥ・フラン・ゾーパー)とそらのももかちゃんが来る、その情報は自分の心を一瞬で沸き立たせた。

幸いその日が空いていることを確認し、神妙な心持ちでその日を待った。*1

当日

当日、先に行われる姉ちゃんとのおしゃべりが13:15〜で整理券配布が12:30〜、列形成が12:15〜ということで、11:40頃に海浜幕張に到着。寒空*2の下、案外長い*3駅からの道のりを、手をこすりこすり幕張メッセへ。道中出来がいいアイアンマンのコスプレを何体も(!)見て、そういえばこれしゃべフェスじゃなくてニコニコ超会議だったなという気持ちが湧いてくる。

ともあれ、入場券を買って手荷物検査を受け、会場に入る。ここでパンフレットに姉ちゃんとももかちゃんの名前があることを確認し、一人で安心していた。

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Vtuberエリアは一番奥(駅に近い方)なので、入り口からは結構かかる。余裕を持っていた筈が案外ギリギリで、他の企画は横目に見る程度にずんずん進む。それにしても結構な距離だった。いくつものブースの切れ目を越え、もしかしてVtuberエリアは別会場なのでは…とすら思えた頃に見たイリアム握手会の看板は妙な安心感を覚えさせた。

さて、しゃべフェスだ。といってもまだ整理券の列形成すら始まっていない。右も左も分からない状態なのでとりあえずトイレへ。トイレにも長い列が出来ていて、列作り始めには間に合わないなあとやきもきしきりだった。

整理券ゲット

トイレから出ると目の前には整理券待ちの列が。30人くらいの列が3回折り返して4折り目なのでざっと100人はいるだろうか。すごいなあと思いつつ最後尾へ。少しして列が動き始める。同じ時間帯のVtuberの整理券を一人一枚で配っていき、終わったら勝手に好きなだけ券を取っていける方式なので、列は(券が早く捌けそうな)朝ノ姉妹のファンの人が多かったのだろうか。自分の番になっても姉ちゃんの番号は5番だった。*4望外の若い番号に、喜びとともにくらくらするような緊張を覚える。

グッズ購入

整理券ももらえたので安心して物販へ。

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姉ちゃんのグッズは種類が多いけれど、*5とりあえず一番上のオリジナルグッズを一揃いとブロマイドを買った。問題は缶バッジ、姉ちゃんも言っていたけれどランダムなので姉ちゃんに当たる可能性は低く、トレード必至となる。トレードにしても弾が無いと成立は無理だろうと思いとりあえず3パック6個購入。銀の袋から取り出した結果がこれ。

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ここに後2個買い足し、これをツイートしてトレードしてくれる人を探すか…と思っていたところにツイッターでトレードしてくださる方を発見。無事グッズを全て揃えられた。

ご対面へ

トレードに時間をかけているうちにおしゃべりの方の列も作られ始めていた。番号順に並ぶので、5番の整理券を見せると前の方に通してもらえる。ここまで来ると逃げも隠れも出来ない、ああ姉ちゃんと喋れてしまうのかと目の前が真っ暗になってみたり、妙に落ち着いた振りをして周りを見渡したり、山の天気もかくやというほど落ち着かなかった。

それでも時間は刻々と流れ、ついに画面に姉ちゃんが映ると、歓声が起き、かわいい…というため息まじりの声がどこからか(もしかしたら自分の口から)聞こえた。実際、大画面にちょこんと映る姉ちゃんは余りに愛らしく、目のやりどころに困った自分の挙動不審は加速した。

f:id:chimpanzeeerafam:20190509235045j:image人間ってすごい、VtuberがAIに圧勝した「ニコニコ超会議」の現場

そして始まる1分間のおしゃべり。ヘッドホンを付けた瞬間にタイマースタート、写真撮影するときはヘッドホンを付けてから(写真は係の方が撮ってくれる)という分かりやすいシステムだった。

始まるまでは思ったより開けっぴろげな場所だな…と思っていたけれど、始まってみると近くでやってるバーチャルキャストでカラオケする企画の音量にかき消されて前の人のおしゃべりもほとんど聞こえず一安心。

さあ数人経って自分の番。

写真撮りますか?と聞かれたけれどどうせ複数回行くので最初は断る。

内容は次で。

*1:プレゼントBOXに入れるプレゼントの準備は忘れた。

*2:最高気温12.7℃、最低気温9.7℃で風もあった

*3:入り口は一番奥なので、敷地内に入ってからが長い

*4:1回目のおしゃべりの後すぐに2回目の券を取りに行ったら30弱だったので、列並んでいない弟が多かったらしい。

*5:ももかちゃんのグッズは出てなかった、悲しい。boothで買おう。

いいnitamagoの感想文

自分の最推しvtuberの一人であるクゥ・フラン・ゾーパー(クゥ姉ちゃん)が公開した「いいnitamago」という曲がとても自分にツボだったので感想文を書きます。

音楽のことをほとんど何も知らないので悪しからず。

いいnitamagoは、パンというポップコーンがはねるような音とシャーンという余韻のある音、そして一際大きい、一度だけ登場する鍵盤楽器の音という三種類*1の音で構成された曲です。

何が自分にとってそんなにツボだったのかといえば、この曲が自分の花火大会における心象風景をそのまま言い当ててくれているように思えるのです。

曲中で、パンという音とシャーンという音はほぼ同時に登場します。これは、それぞれ花火の聴覚情報と視覚情報に対応するようにしか思えないのです。

このことを踏まえ、曲の構成と花火大会を重ねつつ追っていきます。

曲の冒頭、パンという音とシャーンという音の組は散発的に一つずつ鳴るのみです。ここではシャーンという音、つまり花火の光の余韻の存在を存分に感じさせてくれます。

そうした花火はやがて二つ三つと同時に鳴るようになり、さらにまだ光が残っている中で新しい花火が打ち上がるようになるなど段々と盛り上がりを見せていきます。こうなるともう音の奔流に身を任せるのみです。ただ、それでもなおところどころに余韻しか残らない部分があるのがこの曲の面白いところでしょう。キラキラと光った空ばかりではなく静寂を、暗闇の中でキラキラと残るあの光をイメージさせてくれるのです。

クライマックスが近づくにつれ、 音量は段々と上がり、最後の鍵盤、尺玉の一際大きな音で一つの区切りを迎えます。その後、名残惜しいのかいくつかの花火を思い出し、噛みしめるようにポツポツと音が鳴ります。

そしてそれも止んでしまった最後の無音の十秒間、帰り支度を始めた頃には、花火そのものへの憧憬はもはやなくなり、後には花火大会という体験からくる深い感動のみが残されているのではないでしょうか。

このように、いいnitamagoは自分にとって一つの花火大会を追体験させてくれるとても面白い、心を動かす曲でした。

*1:実際にはそれぞれの音にもう少し種類はあるけど